224.感謝祭

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11月23日木曜日はアメリカの祝日、感謝祭、アメリカ留学の経験がある吉村さんから感謝祭のお話や歴史について伺いました。

 

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三上:はい、みなさんこんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント、三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい、吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。たまにちょこちょこ、アメリカに吉村さんが留学してた経験もあるということで、色んなアメリカの行事ごととか、イベントの話とかも出たりすると思うんですが。今月は感謝祭がありますね、アメリカの行事で。

吉村:はい。

三上:はい。11月23日、木曜日が感謝祭ということなので、そのお話を吉村さんから聞いていこうかなと思うんですけど。あと、日本でも最近ブラックフライデー、よくセールとかで今月、ブラックフライデーっていう広告が出たりしてセールすると思うんですけど。

それも合わせて今日は色々伺っていきたいと思います。ちなみにアメリカで留学されてた時に、どんな感じだったんですか?この感謝祭って。

吉村:普通に学校が休みになったりするんですよ。で、確かちょっと短めの休暇みたいなね。1日だけ休日があるっていうよりも、ちょっと数日間、連休みたいな感じで休みがあるんですよ、学校とかは。多分、11月の第2木曜日とかでしたっけ?感謝祭の日が。

三上:第4です。

吉村:第4か。第4木曜日ってなってて、翌日は金曜日なわけじゃないですか。だからそうすると、木金土日って金曜日休みにすれば、4日間、4連休とかになるわけですよね。

そういうので、学校とかは休みになってたんですよね。だから多分そういうときに、そこに金曜日休みにして、家族とゆっくり過ごすみたいなのが多かったんじゃないかと思うんですけど。

三上:どうですか?七面鳥は食べますか、やっぱり。

吉村:七面鳥は、一人暮らししてたときは、あんまりアメリカの習慣から離れちゃったんですけど、高校生のときとか、大学の最初の方、僕は友達の家に下宿してたんですよ。そうすると、アメリカ人のファミリーのホリデーの行事とかに一緒に参加するみたいなのが、すごい短期間だったけどあったんで。

その時に親戚が集まって、感謝祭のときはそんなに大勢集まるって感じじゃなかったんで、近所に居る、いとこの家族が遊びに来て、お母さんが七面鳥焼いてくれて、みんなで食べてみたいなことをしてましたね。あとは、学校で感謝祭ってどういう意味があるのかっていうのを習ったりしたんですけど、結構僕はそのときになんだかなって思ったのが、感謝祭ってもともとアメリカ大陸にイギリスから入植してきた人たちが、最初、あったかい季節にやってきたわけですけど。

最初に来た人たちって、ちょっと貴族の人たちとかが多かったから、自分たちで何か労働をするみたいな習慣がないんで、いってみたら、すごい広い場所にやってきて、みんなで適当に遊びほうけていた人たちが多かったみたいなんですよ。全員が全員そうだったってことではないと思うんですけど、比較的あんまり働かないでプラプラしてた人たちが多くて、そうすると、食べ物とかだんだんなくなっていくじゃないですか。

冬が近づいてきてだんだん寒くなってきて、木の実とかもあんま取れなくなって、蓄えてた食料もなくなってきて、一冬越せないんじゃないかみたいなところで、結構死者とかも出ちゃってたような状況だったみたいなんですけど、その時に現地にいたネイティブアメリカのナントカ族っていう人たちで、さっきちょっとWikipediaで調べたんでね、ちょっといまWikipediaのページ開いてみましょうかね。

三上:植民地、ワンパノアグ族ですかね。

吉村:ワンパノアグ族っていう方たちが近くにいたんで、その人たちが海を越えてやってきた奴らがちょっとまずいことになってるから、助けてあげた方がいいんじゃないみたいな感じで思ったようで、トウモロコシとかね。

トウモロコシの育て方を教えてくれたりとかいうのがあって、現地のネイティブアメリカの人たちに助けられて冬が越せて、それで翌年はちゃんとトウモロコシとか植えて収穫もあって、今年の冬は大丈夫だねみたいな、そういうことを感謝してのお祭りっていうので、そういう感謝祭って日ができたそうなんですよ。

で、その感謝祭ずっと今でも続いている割に、じゃあその後何が起きたかっていったら、ヨーロッパから来た人たちは、そのうちどんどん俺たち柵の中だけ暮らしてるの嫌だよなって、外側には広い土地があるけど、わけの分からない裸同然の奴らが好き勝手やってるから、あいつら土地奪って俺たちのものにしちゃおうぜみたいな感じになってて。

結局、銃でどんどんネイティブアメリカの人たちを追いやって、領地を広げてって結局、アメリカ全体が入植者の人たちがアメリカを銃でぶんどってしまったみたいな、構図になったわけですよね。だから全然当時の感謝を全く覚えてないじゃないかみたいなふうに、僕は思ったわけですよ、その時にね。

三上:確かに。ネーミングは感謝祭ですもんね。

吉村:そうそうそう。だからね、その時はアメリカ人ひどいやつらだなっていうような感じの印象だったんですけど、今ちょっと振り返って考えてみると、結局君たちのひいおじいちゃんひいおばあちゃんは、最初にここの大陸に来た時に、ひと冬越せなくて死んじゃってたかもしれないところを、この人たちが助けてくれたおかげで、君たちもこうやって今こうして生きてるんだよみたいな、そういう歴史の教育がちゃんとまともにされてなかったんじゃないかなって思うんですよ。

おじいちゃんとかひいおじいちゃんが、助けられたんだってなったら、そっかってじゃあこの人たちお世話になってるから仲良くしないとねって感じに思うんじゃないかなと思うんですけど、そこがちゃんと伝わってなかったから、なんかよく分からない、あんな奴らが好き勝手やってんのに、俺たちはこの狭いところで暮らさなきゃいけないなんて、納得いかねえぜみたいな感じになっちゃったんじゃないかなというふうに思うんですよ。

まあ、それだけじゃないかもしれないですけど、他にも経済的な色々な理由とかあるのかもしれないですけど、でもまあ、それこそあいつら野蛮人だからみんなぶっ殺して、この土地俺たちが統治するんだみたいな発想って、全然その感謝がないなって思うわけですよね。そこのちゃんと感謝がするような事柄があったなら、ちゃんとそれを後世に伝えるっていうことをした方がいいんじゃないかなっていうのはありますよね。

三上:今のでも私たちにも言えることもたくさんあるだろうし、今この感謝祭の意味をちゃんと知って、そうなのって方もきっと多いと思いますけど、やっぱり歴史をちゃんと知る、ちゃんと伝えていくってことは改めてやっぱり大切なことですね。

吉村:ねえ、例えば吉野家って牛丼のチェーンがあるじゃないですか。で、あと筋肉マンって漫画知ってます?

三上:知ってますよ、昔のね。

吉村:昔の。これちょっと聞きかじった話なんで、どこまで正確かちょっと自信ないんで、間違ってたら教えてもらえればと思うんですけど。筋肉マンの漫画の中に吉野屋っていう牛丼屋さんが出てくるんですよ。ちょっと字が違うんですけど、牛丼チェーンは吉野家の家が家なんですけどね。筋肉マンだと屋号とかの。

三上:屋根の屋ってことですね。

吉村:屋根の屋かな。でも吉野屋って出てくるから、だいたいイメージするのはあの吉野家じゃないですか。筋肉マンが吉野屋の牛丼大好きでよく食べてるっていう設定なんで、それで結構吉野家の売り上げが上がった時期があったらしいんですよ、筋肉マンのおかげで。

で、当時の吉野家の社長が筋肉マンの作者のゆで卵先生っていうね、確か2人漫画描いてる方たちだと思うんですけど、ゆで卵先生にはすごくお世話になったから、ゆで卵先生はもう吉野家の牛丼は永久にただで食べられるようにしますって言って、いつでも好きな時に吉野家に行ったら、ゆで卵先生は吉野家の牛丼をただで食べられるっていう約束をしたらしいんですよ。

それで、牛丼がただで食べられてよかったなって、吉野家の売り上げにも貢献できたしっていうので、結局言ってみたら、吉野家としては漫画のおかげでただで広告が売ってるみたいな状態だったから、それで売り上げがバーッと上がったわけですよね。だけど、企業だから社長とかも代替わりしてて、社員の人たちも代替わりしていくわけじゃないですか。

だから、そういう約束があったってことが下の人たちに伝わってなかったらしくて、何年か経ってからゆで卵先生が吉野家に牛丼を食べに行ったら、「え?何ですか、それ知りませんよ」みたいな、すごい塩対応をされて、そういう全然筋肉マンも若い人たちを知らないから、全然ピンときてなかったみたいな話があったらしいんですよね。

三上:ちょっと悲しい。

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