生きた時間よりも内容に意味があるノベーション(1091回)
筋ジストロフィーと診断され、この先いずれしゃべることもできなくなる可能性を告げられた、元柔道選手の大橋ノアさんの言葉に感動しました
"生きた長さよりかは、内容に意味があるんじゃないかなと思えるようになってからは、まだなんとかなる"
ここから私は思いました
1、誰もが限られた時間
→当たり前の毎日を疑う
2、気づけるかが大きな分かれ目
→気づいたら言葉にすることが大切
3、気づいたら何をやるのか?
→パッションの源を見つめ直す
以前、サルモネラ菌にやられて1ヶ月ICUに入ってことがあるのですが、その時の感覚は今でも覚えています
倒れる寸前に意識がなくなっていくところを覚えているのですが、先生が実家の電話番号は?と必死に聞いていて、それより早くなんとかしてくれよ、と思いながら、意識が遠のいていきました
その後、致死率50%で両親を札幌から東京によばれていたのですが、後から思うと、あのまま目を覚まさなければ、死ぬという瞬間だったのかもなと思います
先生の治療が素晴らしく一命を取り留めたわけですが、思わぬところですぐに人生が終わるということがあるんだなとつくづく思いました
その経験から、自分の限られた時間ということは、とても意識するようになりました。その意味で、ノアさんの言葉は、とても胸に突き刺さります
意識が遠のいた時は本当に眠るような感覚だったので、眠りにつく時はいつも、もしかしたら、次の日は目覚めないかもしれないという気がしてしまいます
だからこそ、眠るときには、今日ですべて出し切った!と思えるような一日でいたいと、思うようになりました
これはある意味、明日があるのは当たり前、ということを思っている、当たり前バイアスを、強烈に壊すような体験や意識づけがないと、なかなか難しいことかもしれないなと
でもそれを壊すことをやってみる、さらにはそれを言葉にしてみる、ということによって、確実に違う日々の見え方になるだろうなあとも思います
その上で、自らの情熱の源が、本当はどこにあるのか?その源に今日は、今は、直結しているのか?
ということはすごく大切なことだなと、つくづく思います
ノアさんの、時間ではなく内容である、という言葉は、今この瞬間に、パッションの源に直結してることをやってる?というメッセージに、私には聞こえました
"生きた時間よりも内容に意味がある"ノベーション
日々の自分の片隅にいつも思っていたい、そんな素敵なメッセージでした
そんな話をしています^ ^
参考:テレビ東京 生きるを伝える やりたいことをやりたいときに 元柔道選手 「大橋ノアさん」 https://www.tv-tokyo.co.jp/ikiru/movie781.html
動画で見たい方はこちら
https://youtu.be/zSxs5oyTa50
生きた時間よりも内容に意味があるノベーション(1091回)