夢がなくても心配ないノベーション(1068回)

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2014年、秋の叙勲にて黄綬褒章を受章されている中国料理人の脇屋友詞さんの言葉に感動しました

曰く
"夢がなくても、心配することはない。 何かにがむしゃらに打ち込む間に、見えてくる夢というものは確かにある。 実はそういう夢の方が多いのではないか。 いや、そういう夢こそがほんとうの夢なのではないか。"

ここから私は思いました
1、何が面白いかなんて突っ込んでいかないとわからない
→セレンディピティ
2、今あるものにがむしゃらになってみる
→コンフォートゾーン
3、どこかで情熱のポートフォリオに火が付く
→導火線にさえなればいい

脇屋さんは中学を卒業したら父親に中華料理店で働くように半ば強制されて、ずっと鍋洗いをしていたそうですが、3年目にふと中華料理の道に進みたいと思うようになっていたそうです

僕もコンサルティング会社に何もわからずに入ってから、ずっとなんで自分はできないんだと思い続けながら、ほとんど休みのないズタボロな生活をしていましたが

3年目になって、ある日突然、この仕事面白い!と思う瞬間が訪れたことを覚えています

そして僕も、今はコンサルティングの会社を立ち上げて、毎日面白さを味わいながら仕事ができているので、脇屋さんの言葉が僕にはとても突き刺さ去りました

何が面白いかなんて、実際に突っ込んでみないことには、本当にはわからない、側から見てるだけではわからない、ましてそれが自分が面白いのかなんてなおさらかと

そういう意味では、明確にこれがやりたい、ということがある人以外は、ある程度セレンディピティ」直感に任せてみるのもありかなと思いました

さらにいうと、面白さというのは、ある程度のスキルがついてこないと本当にはわからないので、そこからコンフォートゾーンを抜け出すことを続けなきゃいけない 

脇屋さんが鍋を洗い続けてるうちに、鍋だこができて、鍋を握ることができたように、私が、お前の報告書は訳がわからないと言われ続けながら、赤ペンだらけになりながら何度も書き続けたように

コンフォートゾーンを抜けることを続けるその先に必ず面白さがわかる時が来る、ということが大切かと思います

その先に、自らの情熱のポートフォリオのどこかに火が付くということになるのかなと

私の場合は、報告した内容に対して、自分でもワクワクする内容になって、かつお客様からも感謝の言葉を頂いたときだったので

それは自分の成長パッション、利他パッションあたりに、火がついた気がしました

もしかしたら、個性派パッションや、大好きパッションに、火が付くことがあるかもしれません

その時に自分の、パッションの源も初めて理解できるということもあるかもしれないなとも思いました

みんながみんな大谷翔平さんのように、最初から夢があるわけでなくてもいい

たまたま目の前にあるもの、たまたま出会ったものに、自らをつっこんでみることで、夢が生まれてくる、それでもいいのだと

夢がなくても心配ないノベーション

そんなことを思いました^ ^

参考: 厨房の哲学者 令和5年11月発行 著者 脇屋友詞  発行所 株式会社幻冬舎

動画で見たい方はこちら
https://youtu.be/qQupcnw076c

夢がなくても心配ないノベーション(1068回)

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