ユーモアを掛け合わせ発信する力ノベーション(1106回)

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作家・岸田奈美さんが自身の家族について綴ったエッセーを原作に連続ドラマ化された、河合優実さん主演のNHKドラマの"家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった"に感動で泣き崩れ、その中のセリフにめちゃくちゃインスパイアされました。

曰く
"家族だけで抱え込んでたら、悲劇って呼ばれることでも、人を笑わせたら喜劇にできるかなって思てん"

ここから私は思いました
1、ニーチェの解釈論
悲劇だって喜劇にできる
2、心理的安全性と機能的固着からの脱却
ユーモアノベーション(1044回)
3、感情教育
エンタメのチカラ

''ベンチャー企業家だった父は急逝し、母は突然車いすユーザーに。弟はダウン症、祖母はものわすれの症状が・・・"その中で生きる高校生の視点からのめちゃくちゃ素直なお話しなのですが

側から見ると一見悲劇的なお話を、主人公が素直な苦しさを吐露しながら、愛に満ち溢れた素敵なお話なのだと表現してるところが、本当に素晴らしく泣きまくりでした。

これは、ニーチェの解釈論における、「真実はない、あるのは解釈だけである」にあるように、悲劇でさえも喜劇にすることができるのである、という勇気溢れる実例に見えました

そして、ユーモアの力が如何に強いかということも、まざまざと見せてくれました。これは、以前ジェニファー・アーカー/ナオミ・バグドナスのお話にインスパイアされた、ユーモアノベーション(1044)でお話しした通り

ユーモアには、心理的安全性と機能的固着からの脱却を促す働きがあるのだなあと、つくづく思わせて頂きました

つまり、ニーチェの解釈論を活用する場合に、その解釈にユーモアを掛け合わせることによって、固定観念から解き放ち、周りのみんなももっと自由な解釈を促すことができる

一見、悲劇的なことに見えるかもしれないけど、本質的なところに目を向けさせてくれる、周りの人たちも特別なことじゃないと思うことができる、そんなことを思いました

そして、これが書籍になり、ドラマになることは、ローディの感情教育にもつながるなとも思いました。悲劇的なことは、論理だけじゃ伝わらない、そして自分自身だけからも伝え切ることはできない

そこには、第三者の介入があって、それを感情が通う物語にして、いろんな人たちに伝えることによって、真の姿が伝えることができるようになる

そして、それをすることで、本人も救われることにつながる可能性があるということを、まざまざと見せていただいた気がしました

悲劇でさえも、解釈にユーモアをかけることで、喜劇にすることができる、そしてそれを感情教育に結びつけることで、エンタメ化し、さまざまな人々に真実を伝え、かつ本人も救われる可能性がある

つらいことがあっても、それにユーモアを掛け合わせて発信する

本人でできなれば、誰かがそういう形に持っていく

それによって救われる人が、たくさん生まれるのかもしれない

ユーモアを掛け合わせ発信する力ノベーション

そんなことを思わせて頂きました

参考:NHK 家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった https://www.nhk.jp/p/ts/RMVLGR9QNM/

ユーモアを掛け合わせ発信する力ノベーション(1106回)

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