Yoga Sutra of Patanjali 1.24|Īśvara カルマと無縁な存在

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kleśa : affliction苦悩
karma: action 行い
vipāka: development, result 成熟、結果
āśayair (āśayaiḥ) : accumulation of, intention 蓄積された、意図
aparāmṛṣṭaḥ : untouched/unafflicted by 〜に影響を受けない、無縁の
puruṣa viśeṣa (viśeṣaḥ) :sense of Self within 意識の根源
Īśvaraḥ : イーシュヴァラ
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前回のエピソードには、Īśvaraという言葉が出てきました。パタンジャリのヨガスートラでは、Īśvaraが特定の神として描かれないかわりに、その性質がリスト化して紹介されます。今日ご紹介するパタンジャリのヨガスートラ第1章の24節では、Īśvaraの性質が定義されるともに、Īśvaraとpuruṣaの違いが明らかになります。まず音読するところから始めていきましょう。
Īśvaraとは、kleśaクレーシャ、karmaカルマ、vipākaヴィパーカに一切の影響を受けない存在である。
もっというと、そのĪśvaraとは外側に見いだされるものではなく、内なる意識の根源、puruṣaに宿るものであり、その内なる意識がクレーシャから自由であるとき、私たちはśvarapraṇidhānātが実践できているということになります。
karmaは「苦悩」と訳され第2章で詳しく定義されますが、このスートラにおいてkarmaは、私たちを行動へと駆り立てるエネルギーのこと。どんな行動にもそれを触発するエネルギーがあります。
エネルギーであるkleśaがkarmaを引き起こし、そのkarmaがvipāka(結果)をもたらし、それらが積み重なり習慣になります。本来の私、puruṣaは、kleśa、karma、vipākaから自由な存在であったはず。本来の自分からかけ離れた行動に出てしまったり、良くない習慣を続けてしまうのは、チッタ(意識)がkleśaの影響下にあるから。大切な人を傷つけるような事態に陥って、初めて自分が混乱していたのだと気づいたりします。
karmaから自由であるpuruṣaと、karmaと一切無縁であるĪśvaraは、似て非なるものです。karmaを引き受けないことは、損得勘定で衝動的に行動しないことだったり、自分の失敗を教訓にして過ちを繰り返さないことかもしれません。それによって本当に大切なものを守る選択ができるからです。次のスートラでもひきつづき、Īśvaraの性質についての解説が続きます。

Yoga Sutra of Patanjali 1.24|Īśvara カルマと無縁な存在

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Yoga Sutra of Patanjali 1.24|Īśvara カルマと無縁な存在
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