Yoga Sutra of Patanjali 1.40 | Mastery of Citta|ずっと「わたし」だったものといっときも「わたし」ではなかったもの。

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覚えていますか。ヨーガスートラ、第1章のテーマはサマーディ。
意識の鏡に映し出される「私」に、私は何を見ているのか。なぜ、静寂がかけがえのないものなのか。静寂にとどまるために、私は何を手放し、何を育んでいきたいのか。第1章の32節から39節では、多様な実践方法が提示されましたが、きょうご紹介する40節では、私たちの意識の領域「チッタ」の可能性と「ヴァイラーギャ」についていわれます。


1.40. Paramāṇuparamamahattvānto'sya vaśīkāraḥ.


Paramāṇu : 物理的最小単位の原子/微細、精妙なもの(から)
parama mahattvānto (mahattvāntaḥ) : Parama + mahattva, antahah 無限大の宇宙、偉大なるもの(に至るまで)
asya : of this (his) 瞑想者の意識はvaśīkāraḥ : mastery 把握することができる→1.15参照(ディヤーナによって)チッタは、微細なものから宇宙に至るまで、自在に縮小、拡張し、それらを識別できるようになる。

ヴァイラーギャとは「いつも私だったもの、本来の私、と、いっときも私のものではなかったもの」を識別できること。続きは音声でどうぞ。
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Yoga Sutra of Patanjali 1.40 | Mastery of Citta|ずっと「わたし」だったものといっときも「わたし」ではなかったもの。

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Yoga Sutra of Patanjali 1.40 | Mastery of Citta|ずっと「わたし」だったものといっときも「わたし」ではなかったもの。
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