Yoga Sutra of Patanjali 1.38 | Nidrā 夢と眠り。または、ヨガニドラーの入り口

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きょうのテーマは、夢と眠り、または、ヨーガニドラーの入り口。
みなさんは、瞑想をしようとして、寝てしまったという経験はありませんか?初心者にとってのハードルは、じっとすること。じっと座ろうとすると身体に熱がこもり、汗が滴り落ちてくる。ようやく、落ち着いたかと思うとうとうとしてしまう。瞑想を長らく続けてきた人でも、ちょっとした心の揺らぎに身体が反応したり、眠りに落ちてしまう日もあるでしょう。
睡眠を必要としていない場面で、眠気に襲われる時は、例えば、退屈しているとき。なんとなくもやもやしている時、考えたくないことがある時は、感情も思考も停止して、やりすごしてしまった方がラクだと、どこかで学習してきたのかもしれません。
でも、きょうご紹介するスートラでは、集中しづらい場面においても意識を研ぎ澄ませておく努力が奨励されます。
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Yoga Sutra of Patanjali 1.38
Svapnanidrāj ānālambanaṃ vā.
svapna 夢と
nidrā 眠り
jāna 知性・知覚を
-ālambanaṃ 拠り所とした(チッタ)
vā. あるいは、または
または、夢や深い眠りに瞑想するとき(チッタに静寂がもたらされる)

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前回のエピソードに登場したrāgaviṣayaṃは、好き嫌いに振り回されるチッタの状態。このような心の状態の日は誰にでもあるものです。その日、翌日、または忘れた頃に、瞑想していたり夢を見ていると、好き嫌いに振り回され、苦しむシーンが蘇ってくることがあります。夢の中で自己嫌悪に陥ることもあるかもしれません。
そんな時にも、体験の良し悪しを判断する代わりに、ālambanaṃその体験を拠り所に、できる限り集中を保とうとすること、その実践を続けてみること。これもまたチッタに静寂をもたらすのだと、といわれます。

パタンジャリの第1章6節にあるように、nidrāは5つのvṛttiのひとつ、チッタの働きのひとつとして捉えられます。第1章5節にあるように、vṛttiには苦悩の原因になるものと、ならないものがありました。vīta-rāgaviṣayaṃの態度で、俯瞰して、意識を保つことができたらなら、その体験は、苦悩の原因にならないばかりか、霊的な成長を促すものになる。

これこそが私たちがヨガニドラー、瞑想のプラクティスでしようとしているこだと気づかせてくれるスートラです。

続きは、エピソードで👂

Yoga Sutra of Patanjali 1.38 | Nidrā 夢と眠り。または、ヨガニドラーの入り口

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Yoga Sutra of Patanjali 1.38 | Nidrā 夢と眠り。または、ヨガニドラーの入り口
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