Yoga Sutra of Patanjali 1.16| Vairāgya 因われないこころ

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【エピソード】
・ヴァイラーギャの質とステート
・因われなのない心
・考えにおける3つのグナ
・プルシャ Seeing as it is
16. Tatparaṃ puruṣakhyāterguṇavaitṛṣṇyam.
Tat: that その
paraṃ: highest 完全なる
puruṣa: highest self 本当の自分
khyāter (khyāteḥ): knowing, discernment 理解
guṇa: quality グナ 生来の
vaitṛṣṇyam: freedom from desire (for the gunas) 欲望から解放された
Tat param: 15節の vaśīkāra-saṃjñā vairāgyam ヴァシーカーラバイラーギャのこと(囚われのない心)
puruṣakhyāter自分自身の本質True Natureの理解
guṇavaitṛṣṇyam グナへの渇望からさえも解放された                     
因われのない心で自分自身を正しく理解するとき、人はどんなものからも自由である。
【チャンティングのヒント】
文法ルールによって音が変わるところがあります。音声をご参照ください🔗
【MEMO】
ヴァイラ−ギャとは、たとえば考えと考えがぶつかったときにどのように反応するか、または反応しないかなどのことでもありました(エピソード#12参照)
このスートラに出てくるグナの観点から見てみると、
Sattva : Seeing the oneness 違いを超えて共通点を見いだせること
Rajas: Seeing the differences違いにこだわって垣根をつくること
Tamas: This is the only way 違いを断固として認めず、自分の考えを押し付けようとしたり、自分の考え方が正しいはずだと思うこと
わかってはいても、ヨガの教えやスタイルのように大切にしているものだからこそ、私たちはこだわってしまいます。真正面から議論することはなくても、事あるごとに他人の意見を評価したり批判して、自分の自信のなさをカモフラージュしたりします。あるいは、自分の感情を批判しているうちに自信が持てなくなったりします。
本当に因われていない心は、過去の出来事を正当化しようとたり、自分の望みに対して罪悪感を持ったり、自分の心をコントロールする必要さえもありません。意識の鏡に映し出されたものを、ただ見ることができます。このスートラでは、そのとき人は自由であると述べられます。

Yoga Sutra of Patanjali 1.16| Vairāgya 因われないこころ

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Yoga Sutra of Patanjali 1.16| Vairāgya 因われないこころ
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