災いと患難との違い

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律法学者たちにキリストは福音の中で「あなたがたは災いだ」「父を知らない」と言っていたりしていますね。
大天使ミカエルがモーセの死体でサタンと論じ争った時にはサタンへ「主がおまえを戒められるように」と言ったりしています。
キリストは愛する者には「懲らしめたり、叱ったりする」と言っています。
パウロも患難は救いであると言ってましたね。
ですから私はやはり患難と災いは異なると思うだけでなく、現在の苦難の中でそう強く感じるようになりました。
だからこそ患難は最後まで耐え忍ぶ者は救われるとパウロもペテロも言ってるのでしょう。
しかし地上の価値観のみで見たら、患難も災いも「苦難」や「災難」や「苦行」にしか解釈できないかもしれません。
そうなると私たち人間の持つ霊性(スピリット)の善悪が愛へ育って行くために、
人間性(霊性の善悪)が聖化によって変えてもらうためにこの区別が無いことは悔い改める機会を失うことになりかねないと感じました。

ルカ16:19から31までに出てくるキリストが話した貧民ラザロと金持ちのことはとてもわかりやすい貧民ラザロの患難だと思います。
ぜひご自身でも魂で口語訳やJA1955などを読んで確認してみてください。

「あなたのあだが倒れるとき楽しんではならない、 彼のつまずくとき心に喜んではならない。 」 (‭‭箴言‬ ‭24‬‬:‭17‬ 口語訳)

「神は正しい者にむかい、 心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。
しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、 わたしの歩みがすべるばかりであった。
これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、 その高ぶる者をねたんだからである。
彼らには苦しみがなく、 その身はすこやかで、つやがあり、 ほかの人々のように悩むことがなく、 ほかの人々のように打たれることはない。
それゆえ高慢は彼らの首飾となり、 暴力は衣のように彼らをおおっている。
彼らは肥え太って、その目はとびいで、 その心は愚かな思いに満ちあふれている。
彼らはあざけり、悪意をもって語り、 高ぶって、しえたげを語る。
彼らはその口を天にさからって置き、 その舌は地をあるきまわる。
それゆえ民は心を変えて彼らをほめたたえ、 彼らのうちにあやまちを認めない。
彼らは言う、「神はどうして知り得ようか、 いと高き者に知識があろうか」と。
見よ、これらは悪しき者であるのに、 常に安らかで、その富が増し加わる。
まことに、わたしはいたずらに心をきよめ、 罪を犯すことなく手を洗った。
わたしはひねもす打たれ、 朝ごとに懲らしめをうけた。
もしわたしが「このような事を語ろう」と言ったなら、 わたしはあなたの子らの代を誤らせたであろう。
しかし、わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、 これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。
わたしが神の聖所に行って、 彼らの最後を悟り得たまではそうであった。
まことにあなたは彼らをなめらかな所に置き、 彼らを滅びに陥らせられる。
なんと彼らはまたたくまに滅ぼされ、 恐れをもって全く一掃されたことであろう。
あなたが目をさまして 彼らの影をかろしめられるとき、 彼らは夢みた人の目をさました時のようである。
わたしの魂が痛み、わたしの心が刺されたとき、 わたしは愚かで悟りがなく、 あなたに対しては獣のようであった。
けれどもわたしは常にあなたと共にあり、 あなたはわたしの右の手を保たれる。
あなたはさとしをもってわたしを導き、 その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。
わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。
地にはあなたのほかに慕うものはない。 わが身とわが心とは衰える。
しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
見よ、あなたに遠い者は滅びる。 あなたは、あなたにそむく者を滅ぼされる。
しかし神に近くあることはわたしに良いことである。
わたしは主なる神をわが避け所として、 あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。」
詩篇 73:1-28 口語訳

ルカによる福音書 16:19-31
'ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。
金持も死んで葬られた。 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。
しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。

アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。'  
https://my.bible.com/bible/1820/LUK.16.19-31

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