Yoga Sutra of Patanjali 1.11 | smṛti 過去の残像としての記憶

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11. Anubhūtaviṣayāsampramoṣaḥ smṛtiḥ.  Anubhūta-viṣaya-asampramoṣaḥ smṛtiḥ.  anubhūta: experienced (既に)経験した  viṣaya : object of senses 対象(もの・考え)  asampramoṣaḥ : not fully set free, recollection 失われていない、回復できる smṛtiḥ : memory, act of remembering 記憶  記憶とは、こころに残っている過去の経験や思考のことです。 パタンジャリのヨガスートラでは、記憶は、こころ、マインドの働きの1つであり、こころに残っているもの、つまり覚い出せることです。なにを覚いだせるかというと、過去の経験や思考、印象を覚いだせるというもの。 私たちは日頃、記憶がいかに正しい、間違っているかを問題にしがちです。でも実際には、曖昧であったり、思い込みや見聞きした情報に左右されて歪んでしまったり、また失われてしまったり、記憶がいかに「はかない」ものかを知っています。カメラの録画機能のようにすべてを記録する機能ではないのです。 このスートラで鍵となる言葉が、viṣayaです。viṣayaは、五感を通して体験できるすべての出来事や思考のことです。 ヘルマン・ヘッセの小説「シッダールタ」では、禁欲生活を終えた主人公のシッダールタの前に一人の女性が現れます。誘われるがままその女性に近づき抱擁していると、その人の正体が毒蛇だと気づくという場面があります。  たとえばvisayaは、このように、姿、形を変えてどこからともなく目の前に現れ、私たちを苦ませるもの、または楽しませるもののことです。刺激のある体験が印象を生み、私たちのこころに残っているものがsmṛti記憶です。

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Yoga Sutra of Patanjali 1.11 | smṛti 過去の残像としての記憶
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