Yoga Sutra of Patanjali 1.14| abhyāsa 誠実な態度
人は、知恵を育むこともできれば、たとえば、その過程で、「自分が見ている世界だけが唯一の真実である」 と、勘違いしたりもする。 想像力を発揮してモチベーションを高めたり、未来を描くこともできれば、 過去の記憶に惑わされて、自分自身の可能性を制限してしまったりもする。
パタンジャリのヨガスートラによると、私たちは往々にして、そのように繰り返される 精神的なサイクルのなかで生きています。 でも、そのサイクルのなかで、人生に対する純粋な喜びよりも、恐怖心や疑い、批判的な質が高まったり、 がんばれば、がんばるほど自分の人生を生きている感覚がしなくなる。 もしそのような気付きがあるのであれば、陥りがちな思考パターンや習慣、良かれと思って取り組んでいるプラクティスを見直すことができます。 abhyāsaとは、現状に気づきを向け、方向性を持って、取り組むこと、その努力を続けることでした。
14節では、引き続きabhyāsa、プラクティスの質について述べられます。
14. Sa tu dīrghakālanairantaryasatkārāsevito dṛḍhabhūmiḥ.
Sa tu dīrghakāla-nairantarya-satkāra-āsevito (āsevitaḥ) dṛḍha-bhūmiḥ.
sa :that それ(abhyāsaは) tu :but, moreover さらには dīrgha kāla : for a long time 長い時間 nairantarya : without-gap, uninterruptedness 途切れない satkāra: done well, with truth, honor 誠実さを持って āsevito (āsevitaḥ) :performed, practiced assiduously 熱心に取り組む dṛḍha-bhūmiḥ : firmed しっかりとした + ground = established
確立された 長い時間を掛けて、途切れなく、誠実な態度で取り組むことで、プラクティスは身につきます。
=====
大きく分けると、7つの単語からなるスートラです。文法ルールによって音がかわる箇所が2箇所あります(音声参照)
abhyāsaとは、更にいうと、長い時間を掛けて、どんなときも、誠実に、心からの信頼とともに取り組むこと。 それによってabhyāsaが自分自身の一部になる、ヨガの道を歩む土台になる、そのような意味を持つスートラです。
たとえば茶道や弓道の「所作」のように、まるで自分の一部であるかのように、自然な振る舞いとして身につけるには、時間が掛かります。謙虚な気持ちを養う必要があります。
たとえば、ふと時間ができたときにやっていること、時間がないときにとっさにでる行動もまた、その人の自然な振る舞いだと言えます。それが自分のためになっているかどうかは、大抵の場合、本人が一番よく知っています。 自分の習慣を改めたいときや、プラクティスが身についているのか知りたいときは、それが自分にとって何を意味するか、よりも、それがもたらす質がどのようなものか、省みることができます。つまり、自分との繋がりを取り戻し、意識の純粋さを思い出させてくれるような質を持っているか、謙虚さや誠実なこころを育んでいるかどうか自分自身に問いかけることができます。 次のスートラでは、プラクティスの質を vairāgyaの曇りない視点を通して検証することの大切さについて述べられていきます。
Yoga Sutra of Patanjali 1.14| abhyāsa 誠実な態度