#022 松や竹にも時間が流れているということ
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「松や竹にも時間が流れているということ」
座禅会などでは、今を生きる、「今、ここを生きる自分」みたいな話を聞くと思います。
禅宗の時間に関する考え方を少しだけお話しいたします。
禅宗では、つながっている物事は、もちろんつながっているのですが、それぞれにその時、その時に存在しているという風に考えます。
つながりを否定しているわけではありません。つながりを感じるのは、大切なことですが、一見、変わらないと感じるものごとも、その時、その時を生きている、その場に存在すると説いています。
ちょっと難しい話になるので、例を出してご説明したいと思います。
道元禅師の書物、「正法眼蔵」の中にこのような一文があります。
「松も時間である。竹も時間である。時間というと、流れ過ぎ去っていくものだけと考えてはいけない。」
#022 松や竹にも時間が流れているということ