#024 チョイスレス・アウェアネス

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「集中してとは言わない。チョイスレス・アウェアネス」

マインドフルネス瞑想は何かに集中するというメソッドをよく使います。
呼吸に集中したり、体の一部もしくは全体に集中するようなものなどです。
日常生活の中で、マルチタスクで苦しんでいる人、様々な事柄に気が散ってしまうような人にとっては、一か所に集中するような瞑想方法は有意義なものになるでしょう。

しかし、曹洞宗の坐禅は、そういった集中の指導をする人は少ないと思います。

もちろん、呼吸や何かに一点集中するようなことは悪いことではないですし、そういう集中力が必要な場面もあるでしょう。
しかし、坐禅では、意識的に何かを選んで集中することを嫌います。何かを選んでしまうことで、私が気持ちをコントロールしたり、私が集中するためのメソッド、みたいに「私が」という気持ちが強くなりすぎてしまうのです。
集中することを意識しすぎてしまうと、「私が坐禅をしている」「私がリラックスしている」「私が集中している」と、私が中心の価値観になってしまいます。

坐禅は、この「私が」という部分とどのように付き合うのか?ということが大切になってきます。
坐禅は、私が何かをするというdoingモードから、ただそこにいるだけというbeingモードへの切り替えです。

「私が集中する」というよりも浮かんでくる思いや、聞こえてくる音などに対して、気にかけてみるぐらいの距離感がちょうどいいのだと思います。
あ、音が聞こえたな、でも、そのままにしておこう。
あ、朝食は何にしようかな。でも、そのままにしておこう。

坐禅をしている最中に、何かに気付いてしまうことは仕方ありません。でも意識的に、選択していきません。これを「チョイスレス・アウェアネス」と呼びます。

#024 チョイスレス・アウェアネス

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