《秋葉原ラジオセンター》御年93の店主が営む、菊地無線電機  #25

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秋葉原駅すぐ隣にある「ラジオセンター」。開業は1949年。様々な細かい電子パーツを扱う店舗が犇めき合うこの小さな商業施設の二階にあるのが今回、お邪魔した「菊地無線電機」。店主の菊地さんは昭和4年(1929年)生まれの94歳。先ほどの阿久悠より八つ年上であり、同級生に誰がいるのかといえばオードリー・ヘプバーンです。放送でもあった通り、さらりと「GHQ」や「進駐軍」という単語を繰り出されます。それこそ「区役所の人」くらいの軽さで。歴史の地層が眼前に聳え、崩れ、肩まで埋まります。
赤坂に生まれ芸者さんに可愛がられていた幼少時代の話などは溝口健二が撮ってないのがおかしいほど。毎日のように赤坂に通勤している我々からすれば、赤坂は「吉そば」がある町です。あとは「スナック玉ちゃん」でしょうか。間違っても芸者さんがいる町ではないのです。
さて戦前から戦後にかけての壮絶なエピソードが語られるなか、徐々に私たちの心に翳りが生じ、広がっていくのがわかります。ある意味では「告白」に近いのですが私たち(少なくとも筆者)は、ラジオ番組の仕事をしていながらもいわゆる電器としての「ラジオ」を所持していないのでした。気づけばradikoで聴くようになって久しく、「菊地無線電機」に陳列されている様々なラジオの部品を見ても、一体何の部品かまるで分からないのでした。世の趨勢に従ったと言えば簡単ですが、それでも呵責はベトついて離れません。

「ラジオはね、あんまり聴かないんです」

インタビューの終盤に飛び出した菊地さんのこの言葉は、ラジオを持たぬ呵責の中にいた私たちからすれば、福音でした。菊地さんは七十年以上、ラジオの部品を販売していらっしゃいますが、別段ラジオ番組がお好きというわけではなかったのです。なんというか「ラジオ」と「番組」を扱う人間のそれぞれの凹凸が噛み合った気がします。
 
恐らく「ラジオ」はこれからも変わっていくのでしょう。
 
御知らせの通り、今回で『東京閾値』の地上波における放送は一旦終了となります。ご愛聴いただいた方々には感謝を通り越して、なんというかもう、同じ家系図に組み込まれたい、そんな想いでいっぱいです。本当に、本当に、ありがとうございました。
さて次の『東京閾値』はどんな「ラジオ」になるのでしょうか。はたまた上野公園の階段下にいたお二人はお元気でしょうか。南蒲田の人々は「えちごや」というラーメン屋を思い出したでしょうか。浅草で髪を切った時の代金は経費になるのでしょうか。東京閾値は、ずっとそこにあります。
 
甚謝:洛田二十日(スタッフ)

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《秋葉原ラジオセンター》御年93の店主が営む、菊地無線電機  #25

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