上野公園階段、交わらぬ二人《上野》#11

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これは、ロケ中の話。

「いないじゃないですか、どうするんですか」

松重ディレクターが早くも半狂乱に陥いり、筆者に詰め寄ってきますが、筆者もまた同じ気持ちのため「いないわけない!そんなはずはない」と、負けずに激昂しては、あたりを探し回ります。
なにせ今日は、上野公園階段下にいらっしゃる似顔絵師の方々にお話を伺おうという目論見だったのですが、上野公園階段下に行けどもの、似顔絵師の方がいないのです。かつて芸術家が集ったパリ・モンマルトルになぞらえ「上野モンマルトル」と一部で称されていた方々が、まるでいないのです。
当然、このままでは『東京閾値』は成立しません。ただ30分間、上野公園の各所にある「知らない人の銅像」の説明文を読み上げる放送になるのです。(主に、ボードワン博士について。)
二人して上野公園を隅から隅まで血眼で歩き周れば、国立西洋美術館にある「考える人」の銅像が目に入り、「上野公園で平日昼間に、思索にふけっている人たちに何を考えていたか聞いてみよう」なんて企画に一瞬傾き始めた折、再び最初の階段に戻ってみれば、ハットに作務衣、丸メガネに白い顎髭。絶妙に芸術家の可能性がある風貌の方が、緑茶ハイを飲みながら、思索にふけっております。もしかしたら、この方、ここに居た似顔絵師の方々について知っているかもしれない、ということで、
「恐れ入ります。ここに似顔絵師の方、いらっしゃいませんでした?」
「ここに俺は二十年いるけれど、今はもう似顔絵師は一人だねえ」
これが、占い師松山さんとの出会いでした。まさかの、定点観測者でした。
これは、放送直前の話。
「ヤクザって言葉、放送で使えるんでしたっけ?」「これ、どこまで放送に乗せて良いと思います?」といったLINEが筆者のスマホに流れ込みます。松重が、例のごとく半狂乱なのです。
追加取材でお会いできた似顔絵師の方の話があまりにもスリリングであり、それでいて占い師、松山さんのお話とも食い違っていたので編集脳が破裂しそうでした。とはいえ、きっとその人の中に、それぞれの真実があるのです。無理に整合性を保つことはありません。あとヤクザが使っていい単語かどうかは分かりません。
百年後、二人がいた場所にそれぞれ、一切目を合わさない銅像が立つことを、祈ります。解説文もまた、食い違っていますように。
 
文責:洛田二十日(スタッフ)
 
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上野公園階段、交わらぬ二人《上野》#11

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上野公園階段、交わらぬ二人《上野》#11
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