どんなに欠けだらけであっても(マタイによる福音書 25章)

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「『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」
(マタイによる福音書25章40節)

主イエスは、終わりの時に備えるよう教え、御国を受け継ぐ者とされた人たちに語りかけます。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」。しかし、救われた人びとは驚きます。そんな記憶がないからです。
そんな彼らに、主イエスはおっしゃいます。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と。
聖書は、「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです」(1ヨハ4章21節)と語ります。主イエスが命を懸けて私たちを愛してくださったように、私たちも御言葉に従い、私たちの隣人を愛し、仕えたいと願います。しかし、私たちの業は欠けだらけで、思うようにいかないことばかりです。
けれども主イエスは、主イエスに仕えようとする、どんなに小さな業も決して空しく終わらせません。そこに主イエスがおられるからです。記憶にも残らないような小さな愛の業すら、主イエスは驚くほどに喜んで受け取ってくださるのです。

【祈り】
主よ、きょうも、あなたが与えてくださった目の前の方に、愛をもって仕える者としてください。あなたがまずわたしを愛してくださったように。愛する主イエスに仕えるように。

どんなに欠けだらけであっても(マタイによる福音書 25章)

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どんなに欠けだらけであっても(マタイによる福音書 25章)
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