高瀬隼子『いい子のあくび』より他者の人生を消費する行為について考える(同級生の死より)
中学時代、同級生が死にました。
私は、死んだ同級生に関しては同級生という接点しか持っておらず、当時は死にたがりで実際に行為を企ていた私が「死んだとしても誰の印象にも残らないのであれば意味ないな」と、今回の収録でもお話していますが、同級生の死を通して思春期に醜い感情を発生させて、自分自身の汚さに気持ち悪くなったのを覚えています。それは、まだ自尊心が肥大化していて、死という行為を通して人生から逃げるのではなく、死という行為を通して誰かに思いやってもらい自己実現を図ろうとしていた自分が頭を掠めて、申し訳なくなると同時に、人生って不平等なんだと、より強固な感情になったことを覚えています。
お通夜において保護者が「この子のためにも君たちは生き延びてください」と言われた時、いきなり奪われてしまった人生と自分で命を選択する人生、私は死にたがりであることは傲慢なんだろうかと、当時虐待をされていた思春期には天秤にかけるきつい体験でした。(他人の地獄を知った理解した上で)
※クーラーもかけずに網戸の中で収録したのでせみの声がうるさいですね、BGMを活かして夏っぽくしましたが、ざわざわとするので、今後は対策していきます
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「とけない夜に空想を」は、ひねくれている大人が、他人と足並みを揃えるために生存戦略について考えたい番組。
人間関係と哲学。あなたの生きる活力のきっかけになりますように。
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高瀬隼子『いい子のあくび』より他者の人生を消費する行為について考える(同級生の死より)