【お便り】ネガティブな言葉を発するとき(死にたいとぶつけられた時)

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「死にたい」という言葉を発するときの話し手/聞き手の心情の違いについて考えています。私の考えとしては、その言葉を発する時は、もちろん緊急性もあって危機感を持って関わらなければならないと思っていますが、日常に普遍的にカジュアルに「死」について思考してもいいのではないかと思っています。だって我々は常に死に向かっているわけですし。手に負えない場合は(元々疾患持ちの場合や自分の心まで侵食してくるような場合)、聞き手が心の闇を一緒に背負う必要はないと思うので、手放してもらってもいいのかなと思います。そのために専門家が存在していますよね。

「死にたい」について横たわっている当事者でありながら、仕事として関わっている中では不思議と線引きできているんですよね、それが私の強みなのかなとは思っています。(が社会的に見たら不要なんてことまでパッケージとしてわかっているんです)あと、同族嫌悪なのかもしれませんが、「死にたい」を経験したから「死にたい」人を救えるとは思ってもいません、別問題で別の技法が必要だと私は思います。

親身になって聴いてくださってありがとうございます。あなたの優しさに救われている人もたくさんいると思います、私もその一人です。


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