寛容は美徳じゃないノベーション(1172回)

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神学者の国際基督教大学名誉教授の森本 あんりさんの言葉に目から鱗が落ちました

曰く
"「自分の意見や好みに合わない人には、どうしても否定的な評価をしてしまう。そのことを表面に出さないように努めはするが、心の中のそういう思いは止められない」──自分の内心をそう顧みている人に、「いや、それが寛容の本義です」と伝えたらどうだろうか。

はじめから共存の道など考えもしない人は別だが、否定的な感情を内にもちながらも、何とか相手と一緒にやってゆこうとしている人が、「あなたこそ、寛容のお手本です」と言われたら、目を白黒させてしまうだろう。

そこで、もう一度その人に告げるのである。「いえ、お世辞ではありません。寛容はちっとも美徳ではないからです」。"

ここから私は思いました
1、寛容と不寛容のパラドックス
3、寛容は美徳というバイアス
2、寛容はアウフヘーベン

寛容というためには誰かが悪でなければならない、そうしないと寛容は生まれない、というパラドックスに、驚きました

寛容というと、誰もを許せるような美しいここを持て的なことかと思ってましたが、そうではなく誰かが悪であるからして、許すことが生まれるということなのだと改めて思いました

そうすると、誰をも憎まない的な完璧な美徳な心を持つということではないし、また美徳を無理やり持たせるなんてことはできっこないという前提に立たないと、成り立たないのだなと

そんな世界でも、そんな対立を乗り越えて共存共栄するためには、どうしても許せないその悪を飲み込んだ上で、どう共存共栄していくのかということにならなと

これはヘーゲルのいうところの、対立しているお互いを否定しない形で第3の道を探す、まさにアウフヘーベンなのかもしれないと思いました

心から許せるなんてことはないかもしれない、それでも共存共栄は目指したい、そんな心の対立やパラドックスを超えて

寛容というものが生まれたのだと

寛容は美徳じゃないけれど

むしろ、美徳でなくともいい、いかに共存共栄をしていく道を探すか、それこそが寛容が大切なことであるという感じでしょうか

寛容は美徳じゃないノベーション

そんなことを思いました^ ^

参考:本: 不寛容論 ──アメリカが生んだ「共存」の哲学 発 行 2020年12月16日 著者 森本あんり 発行者 株式会社新潮社

動画で見たい方はこちら
https://youtu.be/hI2rxoyKVL8

寛容は美徳じゃないノベーション(1172回)

タイトル
変わり続けるから変わらないノベーション(1042回)
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