考えるための「出発点」

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Podcastプログラム「denken.pod」が始まります。
「denken」とはドイツ語で「考える」という意味の動詞です。人間は「思考する存在(das denkende Wesen) 」であり、皆さん日常的に何ほどか「考える」ということをすると思います。denken.podは、その「考える」ということにフォーカスし、日常的な事柄から抽象的な問題まで幅広い対象を「考える」きっかけとなる、そんなラジオ番組です。皆さんも僕たちと一緒に、思考の深みを探求しませんか? するとちょっとずつ、目の前の現実が変わっていくかもしれません…🤔

 初回の今回は、物事を深く考えるにあたって、その出発点にある大きな力について話しています。つまり、我々が物事を深く考える”キッカケ”には、いったい何があるのだろうか?ということです。

それは、宗教批判者としての「ナザレのイエス」が、2000年前のイスラエルで、当時のユダヤ教社会に対して否を突きつけていった姿に見い出せます。
「イエスの律法批判が時として律法そのものを根本からくつがえす視点にまで到達しているのは事実である。だからといってイエスが常に一貫して非常に徹底した律法批判をなし続けていた、と想像するのは無理があろう。イエスも時代の子なのである。常に徹底した律法批判をなそうと思えば、法が社会の支配構造の中でどのように機能するかということを十分に押さえた上でなければ、できない相談である。古代人のイエスに、法と社会の関係についてのそこまで徹底した分析を期待するのは無理というものだろう。だからイエスの反発は、直感的反発である。けれども直感反発はものごとの基礎にある大きな力である。これはおかしい、そういうのはもうやめてくれ、という感覚を正直に表現するところからすべてがはじまる」(田川建三『イエスという男』第二[増補改訂]版、2004年、作品社、200頁)。
 この感覚は現代の我々も抱かなければならないでしょう。
それをいかに抱けるか、あらゆる局面で持続的に、抱き続けることができるか、これが問題です。




考えるための「出発点」

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