愛ゆえの熱心な諭し(箴言 13章)

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鞭を控えるものは自分の子を憎む者。
子を愛する人は熱心に諭しを与える。
(箴言13章24節)

箴言13章は、父の諭しを受け入れることによって、子が知恵を得ると語り始めます。そして、「鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える」(24節)との言葉に行きつきます。「愛の鞭」という言葉が思い起こされますが、本来、「諭し」とは思慮深い言葉をもってするものですので、鞭を振り回すわけではありません。ただ、我が子を愛していればこそ、しっかり戒めるということもあるのです。
神も、私たちを子としてご覧になるがゆえに、しっかりした戒めを与えることがあります。「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。」(ヘブ12章7節)。鍛錬のための試練があり、それは、愛する子であるが故なのです。親から諭されない子がいるとしたら、その子ほど不幸な子はありません。今、不幸であるだけでなく、その子の行く末はどうなるでしょうか。
ただ、この章を読んで思います。自分はこのように諭しの言葉を立て板に水のごとく語ることができるだろうか、と。まず親に、子としての、諭しが必要です。

【祈り】
父が私たちを諭してくださいますように。ふさわしい知恵をいただいて、ふさわしく子を諭すことができますように。

愛ゆえの熱心な諭し(箴言 13章)

タイトル
生ける神の神殿であるわたしたち(コリントの信徒への手紙二 6章)
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