【第十八回】徳川家康【1595】 秀長死去・唐入り・秀次処刑…天下統一したのになぜ豊臣家は崩れていったのか?

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NHK大河ドラマ『どうする家康』で話題の徳川家康を全26回で語り尽くすという、偏愛史上狂気の企画がスタート!

270年続く安定の江戸時代を築き、天下統一を成し遂げた英雄という高い評価の一方で「狸おやじ」「地味」など芳しくない人物評も有名(笑)
そして、これだけ有名な人物にもかかわらず、未だ解明されていないことや知られていないエピソードなどネタてんこ盛り。
そんな家康をたーーーっぷりお伝えしていきますよ☆

第十八回は江戸入りし、徳川家を立て直す徳川家と対照的に、上り調子だった豊臣家の斜陽について、ご紹介いただきます。
後に関ケ原の戦いの伏線ともなっていく豊臣家内部崩壊は、天下統一からの約10年間で起きていたとされています。全国の大名を従わせ、戦国乱世を終わらせた偉業を成し遂げながら、なぜそれを持続できなかったのか?
そして、家康はそこから何を学んだのか?

【今回のメニュー】
なぜ淀殿から二人も実子が生まれたのか?秀吉の子にまつわる黒い噂/現場VS官僚!豊臣家を悩ませる内部抗争はなぜ起きたのか?/秀吉は間違えちゃいけない 豊臣家が背負った勝利と崩壊の方程式/家康はみた!価値観を決めた時から結末は決まっていた/

【第十八回】徳川家康【1595】 秀長死去・唐入り・秀次処刑…天下統一したのになぜ豊臣家は崩れていったのか?

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【第十八回】徳川家康【1595】 秀長死去・唐入り・秀次処刑…天下統一したのになぜ豊臣家は崩れていったのか?
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